被害者の精神的、身体的苦痛を軽視するような言動は慎む。「少なくとも」、「幸運でしたね」、「少なくとも、飲酒運転者がスピード運転していなくてよかったですよ」、「命があってラッキーでしたよ」等の言葉は使わない。慰めになるどころか、被害者の気分を害し、怒らすことにもなりかねない。被害者はショック状態の他、恐怖、苦痛、パニック、混乱を感じていることがあるので、「幸運な」、「ラッキーな」等の言葉はこの時点では適切さを欠く。
被害者である運転手が罪悪感と無力感に対処できるよう支援する。乗員が負傷や死亡した場合、運転手は土壇場の一瞬の判断や運転で事故を防げたのではと悔やむことが多い。被害者の運転手にそのような感情に理性的に対処し、事故は不可避であっただろうことを認識するよう優しく励ます。土壇場の一瞬の行動というものは、事故に至るまでの複雑な経過のほんの一部でしかないことを説明する。
負傷の徴候がない場合でも医師の診察を強く勧める。飲酒運転による衝突により、頭蓋骨の骨折がなくても脳への損傷(閉鎖性頭部外傷)が非常に多いことを説明する。この場合、直後には何の徴候もなく衝突発生直後の対応も普通にできるのだが、脳の損傷の後遺症は、その後の被害者の生活に影響を及ぼしかねない。症状が後で出た場合、被害者も医療関係者もその症状を飲酒運転による衝突と結びつけることができないことが多い。衝突発生時の検査なしでは、問題が衝突事故と関連しているとは遂に思いつかないかもしれない。
飲酒運転の車両の同乗者による証言や感情が曖昧・相反するものであることを予期しておく。飲酒運転を行った側の家族や友人は、なかなか否を認めたくないものである。また、刑事訴訟になった場合のことを考えて情報提供を渋ることもある。
飲酒運転は犯罪、それも重犯罪であり、多くの被害者を出している事実を踏まえた言動を取る。その断固たる言動により飲酒運転の結果はその他の犯罪と同様重大であることを明確にする。飲酒運転は偶発事故ではなく犯罪である。盗難事故、強姦事故、殺人事故がないように、飲酒運転事故も存在しない。
被害者が感情的になり、時には敵対心を向けることもあることを念頭に置く。被害者によっては警察による飲酒運転の取締りが十分でないと感じており、そのことに言及することもある。公平中正の立場を貫き、謙虚に被害者の反応を受け止める。意見に耳を傾け、反論を唱えたりしない。注意深く耳を傾けることにより、被害者は聞いてもらっていると感じる。被害者のショックと苦痛に理解を示すが、明らかに被害者の立場に身を置けない状況では「わかります」と言う言葉は避ける。
遺族が被害者の遺体との対面を希望した場合その意向を汲む。遺族にとっては、すぐにでも愛する人の傍にいたいという精神的な強い欲求がある。遺族の悲しみに対して理解を示す。飲酒運転による死亡の場合、遺体の損傷が激しいことが多い。そのような遺体と対面した遺族の苦痛を考慮し、遺体との対面を断ることが賢明かと思う事もあるが、そのような拒否は遺族の悲しみを深くするばかりである。遺族に代わってまず遺体をあらため、状況を伝える。それでも遺族が遺体との対面を希望するならば、そのように取り計らう。遺体が葬儀場に送られる前のありのままの状態に触れることは、遺族が愛する人に別れを告げる機会となる。遺体との対面は、被害者の死を受容する過程を始める助けとなる。
- 言葉は注意して選ぶように。飲酒運転による死亡では、「亡くなった」と「殺された」の間には遺族にとって大きな違いがある。「亡くなった」では被害を無視したことになり、「殺された」ではむやみに命が奪われたというニュアンスが強調される。
洋服や貴重品等の被害者の身辺品を現場で捜し保管する。飲酒運転による被害に対処した刑事司法システムへの満足度の調査報告では3分の2が警察の捜査に満足していると回答している。しかし、被害者の身辺品を十分保護していないという意見が多くあり、そのことにより遺族が傷ついたり、苦々しく思ったりしている。
- さらにどのように飲酒運転の被害者遺族のニーズに対応できるかについては、事項の「殺人被害者の遺族」を参照。